ありのままの自分を認めましょう
これは最近よく耳にする言葉ですが、
この言葉に違和感を覚える人も少なくありません。
- そんなことをしたら、自分の欠点ばかり見えて、もっと落ち込んでしまう
- 自分はダメな人間だと認めることになってしまう
- 向上心がなくなるのではないか。
そう感じる人がいるのも当然でしょう
しかし、本当の意味でのありのままの自分を認めるとは、
自分を「ダメ人間」と決めつけることではありません
「評価」と「事実」は違います
例えば、テストで50点を取ったとします。
事実は:「50点だった」ということだけです。
ところが、多くの人はその瞬間に
「私は頭が悪い。」
「私は能力がない。」
「だから何をやってもダメなんだ。」
という評価を付け加えてしまいます。
でもこれは事実ではないのです
自分が作り出した解釈に過ぎませんで
ありのままの自分を認めるとは、
この解釈や評価をいったん放棄して
事実だけを見ることです
辛いと感じることもしなくて良いのです
同様に
- 今、とても辛い
- 苦しい
- 不安だ
というような感情もあります
ここで大切なことは・・
ここで大切なのは、
「辛い自分は弱い。」
「こんなことで落ち込む自分はダメだ。」
と評価することではありません。
ただ、
「私は今、辛さを感じている。」
という事実だけを見ることです。
感情は良い悪いではなく、今の自分の状態を知らせてくれるサインです。
医師は病気を責めない
病院で医師は患者さんを診察するとき、
「あなたは悪い患者ですね。」
とは言わないですよね
例えば血液検査をしたとして
「血圧はこれくらい。」
「血糖値はこれくらい。」
「ここに炎症があります。」
という現状を確認します
そうして
「では、この治療をしましょう。
ただ、
「私は今、辛さを感じている。」
という事実だけを見ることです。
感情は良い悪いではなく、今の自分の状態を知らせてくれるサインです。
医師は病気を責めない
病院で医師は患者さんを診察するとき、
「あなたは悪い患者ですね。」
とは言いません。
血液検査をして、
「血圧はこれくらい。」
「血糖値はこれくらい。」
「ここに炎症があります。」
という現状を確認します。
そうして、
「では、この治療をしましょう。」
と考えます。
自分を見るときも同じです。
まず必要なのは、自分を責めることではなく、正確に現状を知ることです。
と考える
自分を見るときも同じです。
まず必要なのは、自分を責めることではなく、正確に現状を知ることです。
地図がなければ目的地へは行けない
例えば東京へ行きたいと思っていても、
今、自分が大阪にいるのか、名古屋にいるのか分からなければ出発できません。
人生も同じです。
理想の自分になりたいのであれば
まず今の自分がどこにいるのかを知る必要があるでしょう
これがありのままの自分を見るということです。
自己受容はスタート地点
自己受容とは、このままでいいという意味ではありません。
今の自分はこういう状態なんだ。
という事実を、そのまま認識することです。
そこには、「良い」「悪い」という評価をする不要です。
そうすることで
「では何が足りないのだろう。」
「何を学べばいいのだろう。」
「今日できる小さな一歩は何だろう。」
という次の行動が見えてきます。
自分を責める人ほど成長しにくい
「自分はダメだ。」
と責め続ける人は、一見すると向上心があるように見えます。
しかし実際には、責めることにエネルギーを使い切ってしまい、行動する力が残らなくなることがあります。
一方で、
「今の私はここにいる。」
と冷静に受け止められる人は、
「では次は何をしよう。」
と自然に前へ進めます。
ありのままの自分を認めるとは
ありのままの自分を認めるとは、
短所を好きになることでも、
欠点を正当化することでも、
努力をやめることでもありません。
評価を外し、感情に飲み込まれず、今の自分を客観的に見ることです。
そして、その現在地と理想の自分との差を知り、
「その差を埋めるために今日何ができるか。」
を考えることです。
自己受容とは、ゴールではありません。
新しい人生を歩き始めるための「スタート地点」なのです。
私の場合
例えば私の場合ですが・・・
私は脳出血で半身不随になりました
私は45歳のとき、突然脳出血で倒れました。
命は助かりましたが、左半身に重い麻痺が残り、それまで当たり前にできていたことが、ほとんどできなくなりました。
会社も失い、仕事も失い、健康も失いました。
「ああ、自分の人生は終わった。」
そんな気持ちでした。
もしその頃の私に、
「ありのままの自分を認めましょう。」
と言われても、
「半身不随になった自分を認めろというのか。」
「障害者になった自分を受け入れろというのか。」
きっと反発していたと思います。
私が苦しんでいたのは障害ではありませんでした
今振り返ると、私を一番苦しめていたのは障害そのものではありません。
「以前の自分」と比較していたことでした。
健康だった自分。
自由に歩けた自分。
仕事をしていた自分。
その自分と今の自分を比べ、
「もう終わった。」
「価値がない。」
と自分で評価し続けていたのです。
しかし、それは事実ではありませんでした。
私が自分で付けていた評価だったのです。
「事実」と「評価」は違います
事実は、
「私は脳出血になった。」
「左半身に麻痺が残った。」
それだけです。
そこへ私は、
「だから私はもう終わりだ。」
という評価を付け加えていました。
この二つは全く違います。
出来事は変えられません。
しかし、その出来事にどんな意味を与えるかは変えられます。
自己受容とは現在地を知ること
あるとき気づきました。
自己受容とは、
「障害者になった自分が好きになること」
ではありません。
「今の私はこういう状態なんだ。」
と、評価を加えずに現在地を確認することだったのです。
カーナビは現在地が分からなければ目的地まで案内できません。
人生も同じです。
現在地を知らなければ、新しい人生へ向かう道も見つかりません。
理想の自分との比較は悪いことではない
比較してはいけない
と言われることがあります。
しかし私は、比較そのものが悪いとは思いません。
苦しみを生むのは、
「だから自分はダメだ。」
という評価するからです。
本当に必要なことは、
理想の自分と今の自分を冷静に比べ、
何が足りないのか。
今日できることは何か
ということを考えることです。
評価ではなく分析です。
自分を責めるのではなく、自分を知るのです。
私は「元の人生」に戻ることをやめました
脳出血の後、私はあることに気づきました。
元の人生には戻れません。
健康だった体には戻れません。
だから私は、
元に戻ることを目標にすることをやめました。
代わりに、
これからどんな人生を生きるか。
を考え始めたのです。
その結果、
私は自分の経験を伝え、人が新しい人生を歩き出す手助けをしたいと思うようになれました。
もし、あの時の私が、
「障害者だから終わりだ。」
という評価だけを信じ続けていたら、たぶん今の私はありません。
ありのままの自分を認めるとは
もう一度言います
ありのままの自分を認めるとは
短所を好きになることでも、欠点を正当化することでも、
努力をやめることでもありません。
評価や思い込みをいったん放棄して
今の自分はどういう状態なのかを静かに見つめることです。
そこから、
きっと
「理想の自分に近づくために、今日できる一歩は何か。」
が見えてきます。
自己受容は、人生をあきらめるための言葉ではありません。
新しい人生を始めるための、最初の一歩なのです。
私自身、その一歩があったからこそ、人生は壊れても、人生は終わらないと心から言えるようになりました。
「
